2008年12月24日

アイルトン・セナ財団

世界の自動車レースの最高峰F-1。自動車販売不振からホンダが撤退を決めたのはついこの間の出来事でした。三重県鈴鹿で行われた初めての日本グランプリに、本田技研から招待されて見に行った時の迫力は今でも忘れられません。


後に3度の世界チャンピオンになったアイルトン・セナ。現在までにF-1グランプリのレース中に死亡したのはセナも含めて23人です。セナがレースで1994年に事故死してから14年が経過しました。今でも不世出のレーサーとして、多くの人々の記憶に残っている事でしょう。生前、セナは「モナコ・マイスター」と呼ばれていました。アイルトン・セナ財団は、セナが事故死してまもなく設立されています。


生前のセナは、一人でも多くのブラジルの子供たちに教育のチャンスを与えたいと常日頃から考えていたそうです。セナはホンダとの当時20億円という破格の契約交渉の際、この金額にこだわり続けたそうです。その時、セナは「レースだけが自分自身ではない!」と言ったそうですが、当時から多額の寄付を実施していました。だからこそ高額な契約金にこだわり続けたそうです。


セナ自身、世界チャンピオンになれたのもチャンスと言う運に恵まれたからです。母国のブラジルでは、子供たちに教育やスポーツに触れるチャンスが与えられていません。セナ財団は、14年間でブラジルに住む950万人の子供たちを援助しています。また、1万校を超える学校に寄付を実施し、46万人もの教員免許取得者に金銭的なサポートを行っています。そのおかげで、アイルトン・セナの亡き後、同財団は教育分野のNGOとしてユネスコから評価されるほどの団体です。一方、レーサーとしてのセナの遺伝子は、甥であるブルーノ・セナに受け継がれています。現在はF-3の選手ですが、2005年のデビュー戦でいきなり三度表彰台に立っています。いずれ、F-1に出てくるでしょう。


ところで、セナのライバルだったアラン・プロスト。陽気なセナと対照的に、悪役的なイメージが強かった彼は現在どうしているのでしょうか?


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